なにとはなく

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ゴジラ vs キングギドラ

★★★

子供の頃によく見ていた平成ゴジラシリーズの中で、最も好きだった「ゴジラ vs キングギドラ

ゴジラシリーズの中でもストーリーがぶっ飛んでいて、歴史あり・タイムマシーンあり・アンドロイドありと話題てんこ盛りで、子供の頃はワクワクしながら見ていた。そして、何よりキングギドラとメカキングギドラの造形がかっこよかった。

 

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そんな本作がブルーレイとして発売されていたので、早速買って見てみた。

 

 

当たり前だが、大人になった今、当時と同じ気持ちで見ることはできなかった。むしろ今は複雑な気分になってしまった。

 

1つは特撮のショボさだ。記憶していた以上に安っぽかった。いくら1991年の作品とはいえ、アンドロイドのM11が車と同じ早さで走るシーンは、コーヒーを吹き出しそうになってしまった。

もちろんゴジラキングギドラが街を破壊するシーンなどのミニチュア模型は細かく作られていて、特撮独特の暖かみはある。それを良い物としてとらえるかどうかは人それぞれなのだろうが、ゴジラシリーズが、日本映画の映像技術の進化を鈍らせる一因になっていたのでは?と考えるのは考え過ぎか?

 

 

もう1つ複雑な気分になってしまった理由は、意外なストーリーの重さだ。

本作の主人公は二人。一人は新堂靖明。戦時中マーシャル諸島ラゴス島守備隊隊長の少佐で、アメリカ軍に攻められ、玉砕間近の所でゴジラザウルス(後のビキニ環礁の核実験によりゴジラになる)によって偶然助けられる。

その別れのシーンがなかなか熱いのだが、その後復員した新堂は大企業の会長として日本の戦後復興の立役者となるが、現代に甦ったゴジラに殺されてしまう。

 

「恐竜に命を救われ、私が築いたこの国の繁栄を再びその恐竜が壊しにきたかと思うと、皮肉なもんだ」

 

そう言い残し、新堂は逃げることはせずに一人ゴジラと対峙する。

この時の二人(一人と一匹)の表情が非常に印象的で、ゴジラは気味が悪いほど無表情、新堂は少し嬉しそうな寂しそうな表情なのだ。数十秒間の沈黙の後、ゴジラの咆哮によって新堂は跡形もなく消えてしまう。

 

ゴジラは着ぐるみだから、無表情なのは当然なのだが、、、

そもそもゴジラは核実験により誕生した怪獣であり、自然からの警告者という側面を持っている(らしい)。つまりは自然なのだ。自然は時には人を生かし、人を殺しもする無慈悲で無表情な存在だ。そして、それをそれとして受け入れる新堂は、永らく自然に生かされ殺されもしてきたことを自覚できる、いわゆる日本人を表しているのではないか。

この新堂とゴジラのシーンにそんなことを感じた。

 

 

そして、もう一人の主人公はエミー・カノー。23世紀の世界からやってきた未来人。劇の冒頭では、バブル崩壊を迎えず強大な暴走国家となった日本を弱体化させるために、キングギドラを現代の日本に送り込むのだが、現代人と接するうちに現代の日本を守るために奔走する。

 

一旦ゴジラに破れたキングギドラを、未来の技術によってメカキングギドラとして甦らせ、現代に再び帰ってくるシーンは非常に格好良い。

 

そんな彼女の

「この時代が好きだもん。あなたの様な人がいるから」

「サヨナラ、わたしの国」

という最後の台詞が印象的だった。

 

 

とまぁ、なかなかぶっ飛んだストーリーの中にも非常に秀逸なエッセンスがちりばめられた本作。

特撮さえ我慢できれば今でも面白い。