Die Hard : With a Vengence
★★★★★
第一作目と同じジョン・マクティアナン監督。1995年の作品。
やはり、ジョン・マクレーン刑事は切れていないとつまらない。
以下あらすじをAmazonから引用
N.Y.の5番街。朝の買い物客で賑わうデパートが突然爆破された!
サイモンと名乗る爆弾テロリストが爆破場所を地下鉄、小学校と
次々に指定し、N.Y.市民を巻き込んだ爆破計画を敢行する。その
予告爆破を阻止すべく、またまた“あの男”が立ち上がった!
現在第5作まで制作されているダイハード シリーズの第3弾であり、
ある意味、一番好きな作品である。
もちろん面白さで言えば、第1作(ナカトミビル!)が一番だ。
ムキムキでもなければ超絶男前というわけでもない、ただのオッサンが
排気ダクトの中を這いずり回りながら、テロリスト相手に一人で大暴れを
繰り広げる痛快さは、この映画をおいて右に出るものは無いと思う。
ではなぜ第3作目の本作が一番好きな作品かと言えば、その意外性だった。
シリーズの持つ“ダイハードらしさ”を全てぶち壊してくれたのだ。
本シリーズは第2作目までは共通点があった。
・クリスマスシーズン
・閉鎖された空間
・妻であるホリーがテロリストの標的になってしまう
などなど、第2作目は監督がレニー・ハーレンに変わったことにより、
ストーリー的にもかなりぶっ飛んだ所もあったが、それでも“ダイハードらしさ“
をうまく踏襲していたし、1作目の登場人物も多くが引き続き出演していた。
(記者のソーンバーグや、ちょい役とはいえパウエル巡査)
続編物でそういった”らしさ”が失われてしまうのは正直悲しい。
馴染みの顔を見ると、「あぁ、あの世界が帰ってきたな」と安心感を得られる。
しかし、本作Die Hard;With a Vengenceはその“らしさ”を全て吹き飛ばして
帰ってきた。
・季節はクリスマスどころか夏
・N.Y.中を駆け回る
・ホリーは名前は出るが登場すらしない
しかし面白い。それはなぜか?マクレーンがずっと切れているからだ。
のっけから二日酔い全開で、常に頭痛にイライラしながらテロリストを
追い詰めていく。そしてたまにテロリストの手の内を見抜いたりと、
別の意味でも“切れている”マクレーンを見せてくれる。
このシリーズは季節や場所は問わない。マクレーンが暴れまくる映画なの
だと言うことを認識させられた作品であった。
また、他にも良いところが多い。
BGMがカッコ良い。ダイハードらしさを残したBGMも多いが、
オープニングタイトルの「Summer in the City」が流れる最中での
N.Y.の街中の爆破シーンは革新的で、当時はあまりオープニングに急展開を
持ってくる映画はあまり無かったように思う。
また、テロリストのテーマ曲として使われる「ジョニーが凱旋するとき」も
意外性があり面白かった。
脇役達も面白い。
マクレーンの相棒役となるゼウス役にサミュエル・L・ジャクソン、
テロリストのリーダー、サイモン・P・グルーバー役にジェレミー・アイアン。
(実は1作目のテロリスト、ハンス・グルーバーの兄であり、ちょこっと
シリーズの繋がりがあったりもする)
二人ともこの作品のおかげで、名前と顔を認識した。そして忘れられなくなった。
残念なのは、ラストが少し尻すぼみになってしまったこと。
終始テロリストに先手を取られ、あまりテロリストが追い詰められる感じが無く、
いきなりラストを迎え、これで終わり?という感じになってしまった。
DVDの特典で、別バージョンのエンディングを見ることができるが、
こちらもなんじゃそれ?という感じで、元は別の映画用に作られた脚本を修正して
ダイハード用に置き換えたらしく、その辺の影響なのかなと考えてみたり。
どちらにせよ、ある意味シリーズのしがらみを本作で断ち、さらに進化した
ダイハードシリーズの展開を期待していたのだが、(ホリーと仲直りもしてほしいし)
次作までに12年もの歳月を要するとは、公開当時高校生であった私には
想像もできないことであった。
ちなみに私はシリーズ物は過去作の設定は極力引き継ぐ形の物が好きなので、
本作を好きになったのは自分でも意外である。
現在製作中の第6作では、是非舞台をクリスマスに設定し、ホリーと仲直りしをして
エンディングには「Let It Snow」を流して大団円を迎えて欲しいと切に願っている。
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HACHI:A Dog's Tale /約束の犬
★★★★
「ハチ公物語」のリメイク映画。2009年公開。犬を飼ったことのある人なら、いやそうでない人も涙無しには見れない。
僕は本家の「ハチ公物語」は見たことはないが、大体の話は知っているので、たぶん泣くな、と思いながら見始めたが、教授が死んでしまう少し前、それをハチ公が感じ始めたシーンから泣いてしまった。
アメリカ、郊外のベッドリッジ駅。
寒い冬の夜、迷い犬になった秋田犬の子犬を偶然保護したパーカー・ウィルソン教授(リチャード・ギア)は、妻の反対を押し切り、その子犬を飼うことにする。
首輪についていたタグに刻まれていた漢字から「ハチ」と名づけられた子犬は、パーカーのあふれるような愛情を受けてすくすくと成長していく。いつからか、夕方5時になると、ベッドリッジ駅で帰宅するパーカーを出迎えるのが日課となったハチ。一人と一匹の間に育まれた深い愛情と信頼は、ずっと続いていくと思われたが・・・
本作のサブタイトルの邦題は「約束の犬」で、相変わらず直球のようでいて何を言いたいのかよく分からない題名になっているが、原題は「A Dog's Tale」、直訳すれば「犬の物語」、これこそ直球だ。
ただし、映画の作り自体がまさに犬の物語となっており、ほぼすべてのシーンはHACHIの目線を通じて描かれている。
物語はウィルソン教授の孫が学校で、自分のヒーローとしてHACHIKO(なぜかここだけハチ公)をクラスメイトに紹介するシーンから始まる。ここから日本で生まれた秋田犬のHACHIがどうやってアメリカまで行き、ウィルソン教授と出会ったのか、どうしてハチという名前になったのか、簡単ではあるが映像として描かれている。
僕がハチ公物語がアメリカでリメイクされることを知り、しかもアメリカの犬ではなく秋田犬のビジュアルを見た時、何故にわざわざ秋田犬のままリチャード・ギアと共演させるのか不思議に思ったが、そこもちゃんと秋田犬の特徴を映画の中で説明し、それこそがこの映画の「犬の物語」として描きたい部分であったことを、映画を見ることでようやく理解できた。
また、演出としてもその部分は徹底しており、実際に犬が見ていると言われているほぼ白黒のHACHI目線の映像が要所要所に出てくるし、先程書いたように殆どのシーンはHACHIの目線を通じて描かれている。重要なシーンであるはずのウィルソン教授の死についても、教授が倒れるシーンまではあるが、以降の直接的な死の描写や葬儀の様子は殆ど無く、あったのは庭の片隅にある犬小屋からHACHIが見つめる、いつもと違うウィルソン宅の様子のみだった。
そのせいか、リチャード・ギアの台詞も「HACHI〜!」くらいしか記憶に残ってない。ただの感じの良いおじさんだった。
しかし逆に言えば、飼い犬からしてみれば飼い主というのはそういう風に見えているのかもしれないなぁと感じさせてくれる演出でもあった。
こういう犬の映画やドラマを見るたび、よくもここまで上手く人間社会に溶け込む動物がいたものだと感心させられる。世に何億という生き物がいる中で、社会どころか人の心に入り込めたのは犬と猫だけである。向こうからしてみれば、尻尾を振っておけば餌を貰える都合のいい相手というだけなのかも知れない。実際の渋谷駅のハチ公も、教授を待っている間に周りの人が餌付けをしたせいで、駅前に居ついてしまったという説もあるらしい。
しかし、ボールを投げたりして遊んでいる時のあいつらの目にそんな損得勘定があるとはとても思えない。
子供の頃に飼っていた犬に会いたくなってしまった。。。